ビデオレター草稿(第7回野島久雄賞受賞挨拶)

みなさま、こんにちは。
名古屋市立大学の小鷹と申します。

この度は、非常に名誉な賞をいただけるとのことで、光栄です。どうもありがとうございます。

今回、よりによってこの大事な授与式のタイミングで、どうしても外せない海外での展示の予定が入ってしまい、本来であれば、直接お礼の気持ちを伝えたかったのですが、思いが叶わず大変に残念であり、また申し訳ない気持ちです。まずは、推薦をいただいた、小野哲雄先生・岡田浩之先生、そして選考していただいた選考委員会の諸先生方に深く御礼を申し上げます。これまでいただいた賞の中で、間違いなく、一番嬉しいものとなりました。ありがとうございます。

今回、受賞に至った直接の業績は、僕の研究室の「からだの錯覚」に関わる一連の活動であると理解していますが、実は、2012年に新しく名古屋市立大学に自分の研究室を構えるまでは、今とは全く異なるテーマで、主に工学の分野で研究をすすめていました。「からだの錯覚」の研究をはじめるきっかけとなったのは、大学に赴任して一年目の授業準備の際に、はじめてラバーハンド・イリュージョンを体験したことです。このとき、文字通り、(天と地と、と言うよりも)自分と他人がひっくり返るくらいの衝撃を受けて、これは自分が生涯をかけて取り組むべきテーマであることを直感しました。あの衝撃からもう7年ほどになりますが、それからは、ありがたいことに、ずっと熱にうなされている状態が続いているといいますか、まさに「好きなことを好きなように研究している」風の、理想的な研究人生を謳歌できていると思います(お金では苦労することはありますが、それはまた別の話)。

あのタイミングで、ラバーハンド・イリュージョンと出会ったのは、偶然といえば偶然なのですが、僕自身の感覚では、普通に研究を続けていれば、遅かれ早かれ、どこかの時点でこの錯覚に出会い、そしてやはり圧倒され、今の研究テーマに落ち着いていたであろうことは、ある程度の自信を持って言うことができます。他方で、もし、そもそもラバーハンド・イリュージョンが世の中のどの文献にも発表されていなかったとしたら、、そのような並行世界を想定してみると、、それは全然ありうる話だと思うんですけれど、、その場合でもなお今のような研究テーマがあったかというと、それはかなり絶望的だったのではないかと思います。そして、そのようなもう一つの世界で、果たして、僕が今ほど楽しく研究できているだろうかと考えてみると、この点についても、やはり僕は確信を持ってイエスということができません。それほどまでに、今となっては、僕は、「からだの錯覚」以外を研究テーマとしている(別の可能世界の)自分のことをうまく想像することができないのです。いずれにせよ、僕には事後的に幸運と思えるような出会いがあった。それは事実です。

僕の研究室の活動のモチベーションは、一つには、僕たちが「からだの錯覚」から受けた衝撃を、他の人ともシェアしたい、端的に言えば、周りの人から「面白い」「なんだこれ」というような反応を引き出したい、そんな素朴なコミュニケーション欲求に支えられているところがあります。今回、「面白さ」を何よりも重視する野島久雄賞に選んでいただいたということについて、素直に受け取れば、研究室の活動を通して、僕たちが「からだの錯覚」から受けた衝撃的な面白さのうちの幾ばくかが外部に伝染していることだろうと、そのように感じており、その意味でも、今回の受賞はとても研究室冥利に尽きるものです。

本来であれば、ここで、今回受賞の対象となった研究をいくつか紹介するべきなのかもしれませんが、選考委員の先生方からの受賞理由にも挙げていただいているように、今回の受賞は、何か特定の研究業績を評価していていただいた、というよりも、認知科学・メディアアート・VR(バーチャル・リアリティ)の3つの領域に片足を突っ込みながら、分野横断的に行ってきた活動を評価していただいたものと理解しています。

小鷹研究室のこれまでの仕事、そして現在進行中の仕事の多くは、まず展示というオープンなフォーマットで発表して、その場で来場者から得られた(ときに予期せぬ)反応を、あらためて実験心理的な文脈で検証する、という流れをとっています。実際、最近、国際論文誌に発表した「影に引き寄せられる手」(金澤綾香との共著)も、「動くラマチャンドランミラーボックス」(石原由貴が主著)も、論文の中で設計された実験系は、精緻に関連文献を調べ上げてボトムアップに積み上げていった結果たどり着いたものではなく、まずは前段に、素朴に「こういうものをつくってみよう」という発想を展示というオープンな場で具現化するフェーズがあり、そこで体験の強度に関して、ある程度の確信を得たのちに、学術的に新規な要素を関連の論文リストから探っていく、、そうした流れのなかで、逆算的に設計されていったものです。

僕にとって、このようなサイクルは、自分自身が緊張感を持って研究をすすめていくうえで、ごくごく自然に選択されたものです。展示が基点にある、というのは、端的にいえば、学術性なり工学的有用性などを脇に置いて、何よりも、僕自身が、一人称的に「やばい」体験をすること、これこそが、研究の出発点となっているということです。そのうえで、僕にとって、学術研究の感動というのは、先人たちが洗練させてきた種々の概念装置を媒介させることで、プライペートな主観体験としての「かけがえのなさ」が、「みんな」の主観体験へと架橋されていく、その種のコミュニケーションの現場に立ち会うことにあります(そして、それは自分とは何者なのかを -それは、ときに、いかに自分が孤独であるかを-  よりよく知ることへと結実していくのです)。

身体所有感であったり、自己主体感、あるいは最近であれば「sense of self」「numbness」と呼ばれる様な感覚は、一昔前のサイエンスであれば、名状しがたいものとして退けられていたもののはずです。ありがたいことに、今の認知科学では、このような独りよがりな感覚を扱うだけの懐の深さを持ちつつあるように思います。そして、僕は、今後の研究の中で、これまでと変わらず一人称的な体験と深く向き合っていくなかで、認知科学というフォーマットがより柔らかなものへと変態していく、そのためのお手伝いができれば、と思っています。


それでは、おしゃべりはここら辺にしておいて、おそらくは、この会場では小鷹研のことを全く知らない方々が多くいらっしゃると思いますので、自己紹介も兼ねて、最近三年間の研究室展示「からだは戦場だよ」の予告映像を、古いものから順にご覧いただこうと思います。


ご覧いただきありがとうございます。

繰り返しますが、研究室の展示は、研究の一連の流れの入口にあたるものですが、たった今通して見ていただいた数々のアイデアのうち、学術論文へと結実したものは、まだ数えるほどしかありません。現時点で、重要な知見を含む未発表論文を多く抱えており、正直なところを申せば、ある意味では、多少歯がゆい状態での受賞でもあるのですが、今回の受賞を励みに、今後、圧倒的な成果を示して、認知科学の世界の中の「まっとう」な研究者として受け入れてもらえる様に努力します。

最後になりましたが、小鷹研究室の中で生まれる体験の熱気を、僕と一緒になって追い求めてくれた歴代の研究室の総勢27名の学生、とりわけ、これまでのほぼ全ての展示やイベントに、研究室創設当時から様々な立場で深く関わってきたくれた、石原由貴と森光洋に対しては、特に名前をあげて、その多大な貢献に感謝の意を伝えたいと思います。彼らがいなければ、今の小鷹研はあり得ませんでした。

なお、今まさに、来週に迫ったアルスエレクトロニカのキャンパス展で発表する新作インスタレーションを仕上げている最中です。最後に、その新作と関係する映像の一部をみなさんにご覧いただき、お別れとしたいと思います。

どうも、ありがとうございました。

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