9月16日から24日まで、名古屋市科学館の企画展に参加しました。
下の写真は、最終日(9月24日)の業務が終わって、三人で記念撮影。
企画展の詳細は(というか、小鷹研が企画展でやったこと)、以下の特設コンテンツをご覧ください。
「注文の多いからだの錯覚の研究室 in 名古屋市科学館」
(小鷹研究室)
各種錯覚(「軟体生物ハンド」「すのてすのあしあべこべ実験」「影に引き寄せられる手」 「鏡に折り返される手」)に関して、説明とともに簡単な映像もご覧いただけます。
ちなみに「注文の多いからだの錯覚の研究室」というネーミングは、小鷹研独自の錯覚がある程度増えてきたら(というかかなりもう既にかなり増えてるんですが、)「この名前でオンラインのコンテンツを公開しよう」という気持ちで、以前から温めていたアイデアです。なので、今回で完結するものではなく、今後、いろいろな形でアップデートしていくコンテンツの雛形だと思ってください。
さて、今回は、同時期に、認知科学会(金沢)、エンターテインメント・コンピューティング(仙台)と、それなりに骨が折れるイベントが並走していたので、僕自身、がっつりと関わるのが難しかったこともあり、4年生の佐藤優太郎くんと、博士課程の石原由貴さんにプロジェクトメンバーに入ってもらい、準備作業、現場での展示にあたって、大きな責任の一端を担ってもらいました。実際、現場で使っていた膨大な舞台(?)装置、掲示物の多くは、佐藤くん、石原さんの二人が中心になって制作されたものです。
こちらは、今回の目玉の「影に引き寄せられる手」の諸装置(「のっぺりはんど(影)」、「みぎひだり、うえした、あべこべ実験」、「影の引力観察日記」)。
さて、実際の企画展の様子ですが、、(僕は最後の土日の二日間しか現場で対応できなかったのですが)小鷹研のブースは、少なくても休日は、ひっきりになしに来場者が来て、錯覚の体験待ちの状態だったようです。
主催者の方の説明によると、企画展そのものには、最初の3日で6000人以上、、、。
本来であれば写真で現場の賑わいぶりをお伝えしたいところですが、いろいろ配慮せねばならぬことが多いということなので、、 代わりに、現場で実際に錯覚の対応をしてくれた、プロジェクトメンバーの佐藤くん、石原さん、に加えて、四年生の加賀芳輝くんに(この三人は、企画展全体の業務にも当たってもらいました)、今回の企画展に参加してみて諸々感じたこと(特にお客さんの反応とか)をレポートとして書いてもらいました。現場の雰囲気がよく伝わってくると思います。
佐藤優太郎(学部4年)によるレポート
科学館でからだの錯覚体験をお披露目する中で収穫だなあと思うのは、普段の研究室の活動からは考えられないほど多くの人数の、錯覚を体験する様子を見ることができたことでした。錯覚を感じてケラケラ笑う人、錯覚に興味津々な人、錯覚を感じず困り顔の人、錯覚のイメージを持つことを拒否する子供、いろんな人に会いました。
用意した「手、鏡、影」の錯覚体験は、私が小鷹研究室に配属になる前から蓄えられてきたもので、なかでも存在感のあった影のブースは、先生が実験のために作った影の装置を元に、石原さんと体験向けに作ったものです。手間をかけた甲斐もあり、楽しんでもらえたと思います。また、特に反応が良かったのは軟体生物ハンドで、錯覚に入ったであろう途端ニヤニヤしだすお客さんの顔が印象的でした。「ゴムの手」を手に入れるイメージは強烈だったと思います。さわるさわられる、あべこべ実験も面白かったです。私はこの実験で起きる錯覚を感じないので、感じる人の錯覚のイメージを羨ましく聞きました。触ってる場所はなんか違うけど、でも自分の指を触っている感じはある、というイメージの人が多いようでした。
からだの錯覚を感じるかどうかは、その感覚のイメージを持つことができるか、と言い換えることができそうです。錯覚を体験したお客さんの多くは「ああ、なんかそんな気がする」とか「(イメージができてきて)なんか…あー、はい、はい、わかる」と、だんだんと錯覚のイメージを掴んでいるようでした。人がイメージできることは、からだが感じることができることで、「自然には感じることない感じ方の組み合わせ」を埋めてみることがからだの錯覚体験のように思えます。
また、「自分」と「自分ではないもの」との区別が、『さわる感覚』と『さわられる感覚』が同時に起きるかどうかで判断されるならば、それはシンプルですごく面白いです。こうしたからだの錯覚からわかることを、笑い、免疫、演じること、あたりと絡めて考えると面白いかも、というのが最近のマイブームです。
今回の企画展は「注文の多いからだの錯覚の研究室と題して流れる映像」と「研究室のマーク」と「手足の模型」を玄関に多くのお客さんをお出迎えしました。玄関というか入口の作りは大事だと思っていて、それが割合うまく機能していたのが嬉しかったです。とても楽しくやれました。感謝です。ありがとうございました。
加賀芳輝(学部4年)によるレポート
科学館でのワークショップをしてまず印象に残ったのは家族連れの親の反応だった。たいていの場合、親は子供が楽しんでくれたらいいな程度で科学館に来ている。そもそも科学館の展示自体も子供向けのものが多く、小鷹研としての展示もそのような感じで子供に最初に体験させることが多かった。しかし親の思った以上に子供の反応がよかったのか、それとも横から見てとてもおもしろそうに見えるのか自分もやりたい、というように親の目が輝いていくのがわかった。中には他の人が体験している様子を見ていて子供より先にと体験をしたがる人もいるほどだった。
ワークショップ型の体験をするものが科学館には少なく、そしてどこでも見たことのないようなものが見られたのが特に良かったんじゃないかと思う。体験してもらっているとき、これは目の錯覚にあたるのか?とかそもそもこれは何なのか?とよく訊かれた。お客さん達からすると未知の存在に出会ったというような感じだったのだろう。
また、大学内でやっていた実験がこれほど広い年代や層の人に楽しんでもらえたと言うのは驚いた。おしゃれな女子大生と言った感じの人が”みぎてひだりてあべこべ実験”を知り合いにも試してみようと刷ったチラシを持って帰ったり、説明を聞いてもさっぱりわからんと言っていた人が体験して面白いと言っていたりしてからだ錯覚の面白さが大いに伝わったのではないかと思う。
石原由貴(博士課程)によるレポート
今回の科学館で、私は手を撫でる系の展示を多く担当しました。これらの錯覚は、さわる側の手と、体験する人のさわられる手とが同じタイミングでズレの無いよう上手く触れる必要があります。そのため、私は開始30秒くらい手だけを見つめて真剣に手を撫で、その後、チラリ、と相手の顔を見ます。相手に錯覚が起こっているかどうかは、その時の表情で大体分かりました。すごくニヤついているからです。「変な感覚はありますか。」と私が聞くと、「はい…変な感じあります…」と返事が返ってきます。もしくは私が声をかけるまでも無く、「うわぁ…!」という呻き、もしくは狂喜の声が聞こえます。この反応だけでも、体験する人の身に、何か普段は感じえないような体験が起こったことが分かりました。
普段は研究室という閉じられた空間内でこういった遊びをしている私たち。この身体の一部を変質させるという体験は、特段、私たちだけが持つ変態的な趣向なのではなく、多くの人が普遍的に「楽しい」もしくは「変」「気持ち悪い」といった強い感情を呼び起こすことのできる威力を持ったコンテンツなのだと、変な安心感を覚えました。
もちろん、この体験を感じることができない人も全体の2割ほどいました。その際は、錯覚が起こらなかった原因として考えられることなどを説明し、頷いて納得してもらったのですが、「うーん…体験したかったなぁ…」という残念そうな反応に、こちらまでちょっと申し訳ないような気持ちになりました。ここで驚きなのは、錯覚を体験できなかった人の中に「本当はそんな体験は存在しないのではないか」という疑いの意見を、ほぼ聞かなかったことです。これは先に体験した人の反応から「ここに何かとんでもない体験がある」という印象が、あまりにも出ていたためでしょう。特にお子さんは終始ニヤニヤしていて、あまり体験する気が無さそうに見えた親御さんを、「体験したい」という気持ちにさせるほど楽しそうでした。
もちろん撫でる系だけではなく、用意していったコンテンツの殆ど全て、驚いてもらえたり、楽しんでもらえたりと、やりがいのある展示となりました。自分の身体の一部を変調させるこの快感が、よく伝わる展示となって良かったなぁと思います。(あと、撫で方が上手いと褒められて大分嬉しかったです。これからも精進します。)
さて、話は戻って、今回の企画展への参加は、展示の期間が10日間という長丁場に及ぶことを考慮し(現場に関わってもらう学生が同じ業務の繰り返しで退屈されてもらっても困るし、、)、10日間を通して何か一つのものをつくりあげていく、という仕掛けがあるといいなぁ、と思ってました。
そうしたアイデアが結実したものが、錯覚の感じやすさを参加者全員のデータの分布として可視化する「感じる感じないマップ」「どっちの手が先に触られましたか」「影の引力観察日記」です。
それぞれのマップは、実際、館内では、こんな感じで掲示してました。
これらの分布は、日々サンプルが増えていって、10日間を通して全貌が明らかになっていく、、という面白さがあります。
「感じる感じないマップ」
「感じる感じないマップ」は、自己接触錯覚の変奏である「さわるさわられるあべこべ実験」(本当は机の表面を指でなぞっているのに、自分の手をなぞっているように感じる錯覚の実験)を体験してもらい、錯覚の感じやすさを五段階で評価してもらったものをマップとしたものです。
似たような実験は、これまで大学の授業の中で繰り返しやっていたので、感度が体験者間でばらけるだろうことはわかっていました。ただ、今回は、授業と違って、幅広い年齢層の人を相手にすることができるまたとないチャンスです。ということで、「感じる感じないマップ」では、加齢とともにに感度がどのように変化するかもわかるように、縦軸に「年齢」の指標を導入してみました。
と、まぁ、こんな感じで、この中には、結構、(研究的な視点で)重要な情報が入っています、。最終結果(16-24日)は、論文に反映させる予定です、(ので内緒)。。
「どっちの手が先に触られましたか?」
こちらは、「どっちの手が先に触られましたか?」の結果です。順手の時と手が交差した時で正解した回数のところにシールを貼ってもらいました。
展示の期間中、僕が把握している限り、手を交差しても正解率の落ちない方というのが、小学生くらいの年齢の子で数人、大人だと、20歳ぐらいの男性の方が一人だけ、という感じでした。
大学の授業で、毎年、この実験をやっていますが、手を交差した状態で、自信を持って毎回正解するタイプの学生と出会ったことがなかったので、こうした特性を持つ人が実在していること、そのものが、僕にとっては大きな発見でした。
僕の仮説では、これはある種の「絶対皮膚感覚」とでもいうような能力に由来すると考えますが、仮に幼少時代において、そのような能力に恵まれて(?)いたとしても、それは(おそらくは)奇跡的なバランスで成立しており、大人になっていく過程で、視覚空間と身体空間の連関性のシャワーを浴び続けることによって、そうした特殊能力もやがて損なわれていく宿命にある、ということなのかもしれません。
この辺の研究って、どのあたりまですすんでるんだろう。すごく興味ある。
影の引力観察日記
「影の引力観察日記」というネーミングは(多分)佐藤くんのアイデア。こちらは1日毎の更新です。
この分布が何を意味するかについては、こちらの映像をご覧いただけるとすぐわかります。
てなことで、昨年に引き続き、今年もワークショップ的なものの企画が突如立ち上がり、どうなることかと思ってましたが、信頼のおける学生たちの奮闘もあって、小鷹研らしい独自の錯覚体験空間をつくれたのではないでしょうか。
これで一区切りがついて、これからは戦場モードです。またお会いしましょう。